梁塵日記

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zoom RSS サインアートプロジェクト.アジアン「残夏(ざんげ)‐1945‐」

<<   作成日時 : 2017/07/05 22:39   >>

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 17時、練馬区立美術館で開催中の「もやい展」へ。

中筋純「流転 福島&チェルノブイリ」(写真展示)、小林憲明「ダキシメルオモイ」(麻布絵)、加賀谷雅道「放射線像」(器物、生物に残留する放射線の可視化)。三者の「フクシマ」への思いが交差する。

麻に描かれたさまざまな母子像で震災による土地と人の絆を表現する小林氏、被災地に残留する放射線を可視化し、立体化することで永遠ともいえる放射線の恐怖を指弾すると同時に、怪物を野に放った人間の業を見据える加賀谷氏。

中筋純氏の写真はチェルノブイリと福島を往還する。
iPhoneやタブレットの小さな画面では伝わりにくい大パネルの写真が喚起する被災地の真の姿。チェルノブイリではレーニンのポスターが、福島では安倍首相の選挙ポスターが風雨と歳月に晒され朽ちている。学校の教室、ピアノ、オルガン、商店の店先の看板、コンビニ…。なんの変哲もない風景だが、そこでは永遠に時間が止まっている。永遠の牢獄に閉じ込められたふるさとの風景。地平線を覆い隠すフレコンバッグの群れ。

どこにでもある小さな商店の店先の看板を見ると、体の奥底から何とも言えない震えが湧き上がってくる。

この風景はもしかしたら近未来の私の故郷でもある。そこには行きの道はあっても帰り道はない。
ザワザワと心が騒ぐ。
いや、まだ引き返すことは出来る。みんなが願えば。
わずかな希望でもまだある。
小林氏の親子像がその希望を象徴している。「もやい」は船を係留する綱。それは人々を結びつける綱でもある。
「もやい展」は9日まで。


 19時、座・高円寺1で始まったサインアートプロジェクト.アジアン「残夏(ざんげ)‐1945‐」(脚本=米内山陽子、演出=野崎美子)を観た。予備知識なしで。

 驚いた。舞台芸術の神が舞い降りている。
 何もない空間から想像力と俳優の身体だけで別世界を立ち上げるのが演劇だが、この舞台はもうひとつ別の次元の奇跡が立ち現れている。
 「サイン アート プロジェクト.アジアン」は手話を芸術的なパフォーマンスとして発展させていくことを目的として生まれたプロジェクト。
 代表は大橋ひろえ。1999年の俳優座劇場プロデュース公演「小さき神のつくりし子ら」で主人公サラを演じ、第7回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞した。

「残夏-1945-」は戦時中から今に至る70年以上に渡る「聴こえない母と聴こえる娘」、「聴こえる母と聴こえない娘」…の物語。戦争という大状況下での差別と偏見、それに抗する母と子の葛藤が見事に描かれている。
 夏実(日野原希美)は広島の地域新聞の記者。離婚した夫・沢口(渡辺英雄)との間に生まれた耳の聞こえない娘・結(貴田みどり)と二人暮らし。

 生まれた時から結の将来を考えて厳しくしつけてきた夏実。「声」を重視する「口話」にこだわる夏実と、手話で自由に表現するのがなぜいけないのかと考える結の母娘関係は断絶状態。
 夏実の母・康子(五十嵐由美子)も聴覚障がい者であり、思春期の夏実は母との生活の重さに家を出て以来、母との関係を断っていた。

 終戦70周年の記事の企画を任された夏実は「戦争と障がい者」をテーマに被曝障がい者の取材をすることになる。通訳で現れたのは元夫の沢口。彼は結を通して夏実を見守っていたのだ。反発する夏実だが、次第に心を開いていく。

 訪れた広島の聴覚障がい者の老人(砂田アトム)は聴覚障がいに無理解な夏実を拒否するが沢口のとりなしで、語り始める。
 障がい者であるがゆえの悲惨な被曝体験。砂田アトムの素晴らしい表現力。

 夏実はそれを聞き、さらに取材を進めようと決心する。
 それは母である康子への取材。康子はろう者で、敗戦間際の長崎で生まれ、被爆していた。
 沢口を伴って帰郷した夏実は久しぶりの母と対面する。

 母が語り始める人生、そしてろう者であった彼女の両親、つまり夏美にとって祖父母の半生とは…。
 
 聴者と聴覚障がい者のコラボレーションによる舞台の目を見張るような完成度の高さ。
 小道具は黒いボックス数個とポール、そして人形だけ。家、ドア、物干しざお、爆風と、ポールの挿し位置を変えるだけで様々に表現される。等身大に近い真っ黒な人形は被曝シーンで効果的に使われる。

 一人で数役を演じる俳優陣。その熱く濃密な演技がダイレクトに観客の胸に伝わってくる。

 夏実の祖母は大橋ひろえ、祖父は雫境(舞踏も)。貧しいながらも彼らを支えるお隣さん夫婦は宮崎陽介と西田夏奈子。どんな苦境にもめげずに生きる祖母を大橋が圧倒的な演技力で表現する。

 聴者同士の会話には背景に字幕が流れるものの、基本的には手話による演劇。もちろん、手話が通訳される演出ではあるが、まったく違和感はないばかりか、見ているうちに、自然と手話の内容がわかってくるのが不思議。
 
 驚いたことに、カーテンコールで初めて私は出演者の大橋ひろえが本当に聴覚障がい者であることに気づいたのだった。

 彼女が舞台の上では言葉を発していなかったことに、カーテンコールの手話通訳で初めて気がついたのだ。
 つまり、手話劇を無意識のうちに「肉声劇」として観て・聴いていたのだ。
 これが奇跡の舞台でなくて何だというのか。

 改めて家に帰ってキャスト表を対照したら、聴者は日野原、渡辺、宮崎、西田の4人だけ。あとの5人は聴覚障がい者だ。
 驚いた。下調べもなし、予断なしで観たから舞台内容も知らず、まして俳優に聴覚障がい者がいるとは思いもしなかった。

 我々が使っている「ことば」とは何か。聴者である自分の言葉がコミュニケ―ションのツールとして本当に機能しているのか。ことばがなくても舞台上にことばが満ちあふれた「残夏」。
 ああ、舞台とはなんと豊かな表現の場なんだろう。

 芳賀一之のパーカッションによる生演奏がまた効果的。

 思い返せば、予鈴と陰アナの代わりに照明がまたたき、字幕で上演中の注意事項が表示された。客席の聴覚障がい者への配慮だったのだ。
 
 1時間55分。まさに奇跡のように美しく希望にあふれた舞台。掛け値なしの名作だ。9日まで上演。
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