「昭和の歌100 君たちが居て僕が居た」

 11時、浦和の従妹の娘さん一家に年始。青森から来た従姉一家も一緒。
姉妹で同じ時期に赤ちゃんを生み、6カ月。男の子二人はすくすくと成長し、かわいい盛り。
従姉の息子Kくんとわが娘はいつこんな光景を見せてくれるのか? 

3時過ぎにお先に失礼。山田電機でインクカートリッジを買い、年賀状の残りを印刷。
 


新年最初に読む本。小西良太郎著「昭和の歌100 君たちが居て僕が居た」(幻戯書房)。

 スポニチの雑用係から文化部長になり、スポニチ隆盛の礎を作り、その後、レコード大賞審査委員長にまでなった小西良太郎の綴る私的日本歌謡曲史。
寺本幸司さん、かぜ耕士さん大推薦だけに、これがクイクイ読ませる。1960年代~1970年代。歌に「ことば」があった時代は自分の小学生から高校生と重なる。

209ページは「新宿情話」(作詞=猪又良作、作曲=船村徹)

 「あゝ上野駅」の井沢八郎がレコード化を切望しながらレコード会社が異なるために断念したという名曲。元歌はムーディー松島だが、YouTubeにはないのでほかの方の歌唱で。


新宿は西口の 間口5尺のぽん太の店が ととうつぶれて 泣いてるヒロ子 三畳一間でよかったら ついておいでよ ぼくんちに

 「一音一音節」という日本語の特徴でも旋律にのせられるのはやはり歌謡曲、演歌だけか。

 日本語の音節を無視した最近の「歌」が耳に残らないのは当然ともいえる。


美空ひばりの「川の流れのように」(秋元康作詞)は今では美空ひばり晩年の代表作となっているが、シナトラの「マイウェイ」とビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」を足して二で割ったようなこの歌は私は好きではない。

小西良太郎氏の回顧では、当初シングルカットされる予定の歌は別のポップな曲だったという。スタッフがその曲を必死に支持したが、当の美空ひばりは「川の流れのように」に固執し、結果的に大ヒットとなり、代表曲となった。

しかし、美空ひばりファンとしては、この歌は釈然としない。そう思うのは私だけかと思っていたら、小西氏によれば、当時のスタッフは「陳腐」という言葉さえ使い、「川の流れのように」をシングルにしないように進言したという。

私もそう思う。美空ひばり最期の歌にしては借り物、まがい物臭い歌だ。秋元康のうさんくささがにおってくる。
まあ、こんなこと書くとひばりファンには怒られるかもしれないが。
当時のスタッフが「陳腐」と言ったと聞いたので何だか胸のつかえが下りた。

「川の流れのように」ファンの方はご容赦を。

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