乃木と安倍

昔の切り抜きから見えるもの。

無能な人が指導者になると世の中が迷惑する。

 これは1970年代の切り抜き。評論家・加藤周一による「世論操作、または『乃木希典日記』の事」と題したエッセイ。

 乃木希典の殉死の真相を書いた山田風太郎の明治ものはまだ読んでいなかったから、なぜこの記事を切り抜きにしたのかはわからない。
 しいて言えば「権力による世論操作の見事な例だった」というくだりに感応したのだろう。

https://otb2588.typepad.jp/blog/2009/11/post-ef2e.html

 乃木将軍は無能の人だったというのは定説通りだろう。幼い頃は幼名・無人(なきと)にひっかけ、子供たちから「泣き人」とあだ名されたほど精神的にも肉体的にも虚弱だった。
 その資質から学者、文官になっていればその生涯の悲劇は避けられたかもしれない。事実、軍人の道を歩み始めたのは軍人である従兄の進言によるもので本人の意思は違っていたのではないか。

 軍人として指揮官としては凡庸というより無能。
 西南戦争では軍旗を奪われ宿舎で腹を切ろうとした。児玉源太郎中佐に叱咤された翌日、姿を消し、三日後熊本近郊天王山の山頂で、餓死寸前の姿で発見された。自決できぬまま三日を過ごしていたことになる。

 自ら願って出陣した日露戦争でも、旅順攻略に苦慮し指揮不能の状態となり寝込んでいる。

 激戦地二〇三高地は「乃木希典が攻略した」と言われているが、乃木の無謀な作戦で死屍累々となり、児玉が乗り込み、現地軍を直接指揮して陥落させたのが真相。

 しかし、明治政府はあくまでも乃木を英雄に仕立て上げる。実子二人を戦死させた乃木、ロシアの将軍ステッセルに武士の情けをかけた乃木をたたえた「水師営の会見」の歌まで作って乃木を賛美した。

 おそらく乃木将軍の精神はこの頃から引き裂かれていたに違いない。大人しく心優しい学者肌の少年が身の丈に合わない軍人指導者となり、無能をさらけ出した時の自省の激しさ。
 自分の存在を認めてくれた明治天皇に殉死するのは当然の心理に違いない。

 前もって遺書をしたため、その時を待っていた乃木。遺書には夫人に対する指示があった。つまり夫人を道連れにする意思はなかった。
 しかし、乃木は結果的に夫人を道連れにした。

 それも当初はひた隠しにされた。

夫人は覚悟の自決で前傾で倒れていた、と発表されたが、実際には仰向けにされていた。頸部を切られ、心臓部をひと突き。それも背中まで貫通していた。そのほかにも無数の傷。頸部を切ってから心臓を貫く力が非力な女性(享年54)にあるはずがない。

 この死体検案書を読めば、夫人がいかにして乃木の手にかかったかが明らか。当時の庶民の間でも、「乃木将軍が妻を惨殺した」という流言があった由。いくら国家が隠しても真相は漏れるもの。

 国家は隠蔽する。
 それは乃木の遺書10項目のうち、
「実子がいたなら家名存続も致し方ないが、養子であるから乃木家は廃絶。家財産は赤坂区又は東京市に寄付すべし」との二つを削除して発表した。
 しかし、朝日新聞が遺書全文をスクープし公表する。
 だが、政府は家名廃絶させることなく乃木の旧藩主の弟を立てて伯爵家を再興した。

 このように、個人の遺書さえ改竄し、その遺志を捻じ曲げるのが国家だ。

 乃木は神と祀り上げられ、軍人精神涵養の象徴となる。
 山田風太郎は、乃木自決の際に、妻の姉が聞いたという「今夜だけは…」という妻の叫び声を基に、ぶどう酒を飲んでいるうちに気持ちが昂り、妻を道連れにしようと思い立った乃木の姿を描写している。妻を追いかけまわし傷を負わせるその鬼気迫る姿は、この死体検案書を基にしたものだろう。医学生出身の山田風太郎にとって死体検案書を読み解くのはお手のものだったから。

 結論をいえば、国家というのは国民の目をごまかし、事実を改竄するもの。歴史はその積み重ね。特に明治維新前後の公的史実には気をつかないと。
あ、そういえば今も長州政権だ。無能が最高権力者になったのも似てるわ。

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