マスク演劇

役者に「マスクつけて、ソーシャルディスタンシングのため互いに距離を空けて芝居しろ」というのはミュージシャンに楽器をケースに入れたままステージに立てというようなもの。バカバカしくて話にもならない。

しかし、「その制約から新しい演劇が生まれる」「工夫次第で見た事もない素晴らしい演劇が現れる」と言う書き込みを見てひっくり返った。

世の中には頭でっかちな人がいるもんだ。

「障害で片足を失くしたダンサーだっている」と例に出すに至っては噴飯もの。それとこれはまったくものごとの位相が違うだろうよ。亡くなった人たちは彼らが死んだ後の世界を知らない。

母は地下鉄サリン事件も阪神大震災も知らない。「多重防護の原発事故が起こるはずがない」と私と議論した父は福島原発事故の事を知らない。
高取英さんはコロナを知らない。

母がサリンを知らないままでよかった。あの日、私が被害に遭ったかもしれない。
父も原発事故を知らないままでよかった。大間原発を後悔しただろう。

もし、私が死んだ後に戦争が起きたら家族は言うだろう。「まさか本当に戦争が起きるなんて。お父さんが知らないまま死んでよかったのかもしれないね」と。

<叔母からLINE>「元気?大丈夫?」と叔母からLINE。5人いた叔母の中で一番歳下。もうじき傘寿だが、LINEやメールなども使いこなす事ができる。
私が生まれた頃、中学を卒業して東京に就職したから一緒に住んだ事はない。

住み込みでお手伝いさんをしていたので、そのお宅のお子さんが読み終えた学習雑誌をよく送ってくれた。私が小学生の時だ。

たぶんその家の子どもは私と一つか二つ歳上。だから、その子が読み終えた本が私に届いた時は私にとって学年が上の雑誌。1年2年違うと本の表紙のタッチも中味もかなり違う。同じ「小学3年の学習」でもずいぶん大人っぽい。
お古の雑誌はとても「高尚」なものだった。雑誌は年代が下がると安っぽくなっていくものだから。

叔母が送ってくれたお下がりの学習雑誌の方が緻密だし、面白かった。今思えばあの古本が自分の知識欲を養ってくれたのだ。
 叔母に感謝したい。

東京オリンピックの頃、その叔母から家に小包が届いた。中身は食品。雪印の四角いチーズが入っていたが、その頃我が家ではチーズを見るのは初めて。
母や祖父母が「これは一体どうやって食べるのか」とチーズを前に話していたのを覚えている。

明治開花で、石鹸を蒲鉾と思って煮たら泡になったという笑い話を聞くと、このときの光景が目に浮かぶ。
<木刀>
この木刀は北区十条の商店街で買ったもので50年近く使ってる。昔住んでいた十条のアパートは中庭が広く、夜、木刀で素振りをしていると、帰宅した同じアパートの保母さんが「素敵!どうやるのか見せて」と言うので恥ずかしいなと思いながら素振りした思い出がある。

あの頃はトイレ共同、風呂は銭湯。アパートの住人同士みんな仲良しでお互いの部屋を行き来していた。高校生、大学生、浪人生、保母さん。

1974年、今思えば夢みたいに懐かしく豊かな時代だ。

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