劇団俳優座「北へんろ」

 19時、シアターXで劇団俳優座「北へんろ」。堀江安夫の脚本を眞鍋卓嗣が演出。

 このところの俳優座の戦争と原発震災の不条理に対する取り組みは鬼気迫るものがある。

 この作品もその一環。これほど哀切に満ちた芝居を知らない。

 舞台は311震災から3年後の岩手県の海辺の集落。津波と火災で焼失したはずの町になぜか一軒だけ残っている旅館「清和館」。女主人・須藤いわね(川口敦子)は80過ぎの老女。夫である清助(武正忠明)は50過ぎか。その年齢差や会話のすれ違いが後に物語の鍵になっていく。

 居室の欄間には第二次大戦で出征した息子・清和(田中泰次)の絵馬がかかっている。結婚することもなく出征した息子を不憫に思った両親がせめて絵馬だけでもと新妻と二人の絵を掲げているのだ。
 清和は終戦の半年前に南方戦線で戦病死し、たった一つの骨片とともに帰ってきたのだが、それでも彼らは「息子の帰り」を待っている。
 旅館に逗留するのは牟田裕子(早野ゆかり)と屋敷陽造(児玉泰次)。裕子が待っているのは不倫相手の吉松隆一(小泉将臣)だが、訪れたのは夫・市夫(渡辺聡)。三角関係の修羅場。

 陽造は牧場を経営していたが、原発事故により牛が被曝。出荷できないため殺処分を命じられるがそれを拒否し、今も牛たちにエサを与えるために遠く離れた牧場に通っている。

 ある日、お遍路姿の男、早見透(加藤佳男)が宿を訪ねてくる。さらに、海辺で倒れていた若い女性、涌田かなえ(瑞木和加子)が宿に出入りする少女ジュン(田澤このか)に発見され運ばれてくる。それぞれに複雑な事情を抱えて、まるでこの宿に引き寄せられるように迷い込んできた。

 宿の夫婦、逗留者たち、新たな宿泊者たちが互いに言葉を交わし、心を開いていくうち、彼らはそれぞれの過去と向き合っていく…。

 …これ以降はネタバレとなるので、未見の方で見る予定のある方は読まない方がいい。

 この舞台は戦争で、そして311で命を奪われた無辜なる民への鎮魂の物語である。
 死者と生者が交信する物語としては山田太一の「異人たちとの夏」がある。死んだ両親と息子の交流。
 しかし、この「北へんろ」が描くのはもっと悲痛な魂の交流なのだ。それは「死者を永遠に待ち続ける死者たち」の姿。

陽造は牛舎の壁に原発への呪詛を書き自殺している。
裕子たちもおそらく死者。
 清介は80年前に病死しているし、いわねは50年前に死んでいる。そして彼らの魂はこの清和館に残り、戦争で死んだ息子を待っているのだ。妻の妄念に引き寄せられ、自由に彷徨えないまま若い頃の姿でひたすら木彫りの人形を彫り続ける清介。その二人の前にようやく戦死したままの姿で清和が現れる。彼が言う「なぜ戦後70年以上も経つのに二人を待たせたままだったのか」。それは「母が子を思い、待ち続けることが子にとっても重い負担になったと言う。死んでからの魂の自由をその母の思いで縛りつけられたという子。生きている人間は今現在を生きてほしいという。
 これほど哀切に満ちた慟哭の物語を知らない。
 川口敦子が薄明の中、ボロボロの軍服姿の息子と向き合い語らう凄惨でありながら聖性を放つシーンは演劇史に残るのではないか。この場面だけでも演劇賞ものだ。

 311で教員だったかなえ役の瑞木和加子が内面の苦悩と突き上げる後悔を見事に表現している。冒頭、猥歌を歌う早野ゆかりの突き抜けた演技で場を盛り上げる。その夫役の渡辺は珍しく妻を寝取られたコキュという軟派な役。児玉、加藤、武正、田中、小泉…どの俳優も素晴らしいの一語。少女役の田澤このかは民謡歌手であり、陽造に向けて歌う牛追い歌が胃の腑までしみわたる。この少女が希望の象徴であり、凛と響く歌が物語を救う。
 これぞ演劇の力。見終えて戯曲を読みたいと思ったのは久しぶりだ。22日まで。多くの人にこの舞台を見てほしいと切に思う。終演後、昨日会ったばかりの名古屋演鑑の工藤さんらとばったり。

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この記事へのコメント

ゆかり
2018年12月27日 12:38
ご観劇頂きご感想を誠に有難うございます。
励みになります。もっともっと自分と戦います。

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