初詣

11時、家人と初詣。
そんなに混雑はしていない。

1時半に家に帰る。

映画を観るも根気が続かない。


 なんだか気鬱で、晴れ晴れとしない。いいニュースがないせいだろう。

 鬱々としてばかりではいけないので、懐メロを歌ってみる。
 懐メロといっても、私が生まれた年から5年くらい。つまり1950年代の終わりの頃の歌。5歳でおぼえているはずはないが、両親が歌好きだったから、自然に覚えた。
 「懐かしい」と思えるのは自分が中高生だった時代のフォークやロックではなく、まだ生まれたばかりの時代の歌、両親の歌っていた歌。
 「湯の町エレジー」(近江俊郎)、「赤いランプの終列車」「別れの一本杉」(春日八郎)、「リンゴ村から」(三橋美智也)、「別れたっていいじゃないか」「旅の夜風」(神戸一郎)、「別れ船」「かえり船」(田端義夫)、「緑の地平線」(楠木繁夫)、「誰か故郷を想わざる」「三百六十五夜」(霧島昇)、「裏町人生」(上原敏・結城道子)、「柿の木坂の家」、「僕は流しの運転手」(青木光一)、「人生の並木道」「夜霧のブルース」(ディック・ミネ)、「連絡船の唄」(二葉百合子)、「啼くな小鳩よ」(岡晴夫)etc

 ♪伊豆の山々 月淡く 灯りにむせぶ 湯の煙 ああ 初恋の 君を尋ねて 今宵また ギターつまびく 旅の鳥(湯の町エレジー)

 なぜか忘れぬ人ゆえに 涙かくして踊る夜は 濡れし瞳にすすり泣く リラの花さえなつかしや(緑の地平線)

♪青い夜霧に灯影(ほかげ)が赤い どうせおいらは独り者 夢の四馬路(スマロ)か ホンキュの街か ああ 波の音にも血が騒ぐ(夜霧のブルース)

 歌詞がぐっとくる。


 「革のジャンパーが似合うだろ」と歌った(青木光一の「僕は流しの運転手」が流行ったのは1957年。2歳の時。

 父は北海道の広大な森で杣夫(そまふ=木こり)として出稼ぎに行っていた。
 病気で仕事が続けられずやむなく帰郷せざるを得なかった同僚に、雇い主は賃金も病院代も払わなかった。父はその理不尽な雇い主の横暴に対し、仲間と一緒に抗議した。私が大人になってから聞いたら、「斧を手に持って押しかけたら、親方が驚いて賃金と見舞金を払ってくれた」と父が笑って言った。
 義に厚い父だった。
 敗戦前、青森に強制連行された朝鮮人がタコ部屋を脱走して森に迷い込んだ時、偶然出会った父は握り飯を渡して、そのまま逃がしてあげたという。

 写真は革のジャンパーを買ってくれるはずの父が、革のジャンパーを買ってきてくれなかったのですねて泣いている3歳頃の私。叔父が宥めてくれた。


 今夜はたぶん、仏壇の両親が歌いたいのを私が代わりに歌っているのだろうな。

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