梁塵日記

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zoom RSS 雨と血と花と

<<   作成日時 : 2009/05/25 19:22   >>

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 今野勉著「テレビの青春」の中に「雨と血と花と」への言及があった。

「雨と血と花と」は1960年の安保改定阻止闘争を正面から扱ったラジオドキュメンタリードラマであり、6月15日の樺美智子さんの死からわずか1カ月後の7月に放送された。TBSではこの作品はそれ以来封印されていたが、1980年、深夜放送「パックイン・ミュージック」の林美雄さんが、その作品を再放送しながら、安保闘争とはなんだったのかを問う番組を作ってくれた。
 だが、当時、「雨と血と花と」の裏に隠された真実には思いが至らなかった。
 ただ「昔の放送マンはすごい。気骨があったのだ」と漠然と思っただけだった。

 しかし、「テレビの青春」によれば、この「雨と血と花と」放送当日、右翼が大挙して有楽町のラジオ局舎に押しかけてきて、匕首(あいくち)を懐に、電波を止めろと放送寸前まで座り込んでいたという。制作部長らが応対に当たり、右翼の妨害はスタッフには知らせず、作業を続行させ、オンエア時にはスタッフはスタジオ内にこもって内から鍵をかけ、局舎の周りは丸の内警察が警戒にあたるというなかで、番組は放送されたという。

 そんな背景があったとは知らなかった。そんな背景を考えれば、80年に林さんが封印を解き、深夜とはいえ再放送したことはかなりの勇気がいったのではないだろうか。

 以下は、1980年、読売新聞に連載された林美雄さんのコラムからの引用。


 先日の深夜、二十年前の放送劇の再放送を試みました。1960年7月19日、ラジオ東京(現TBSラジオ)放送の木下順二作「雨と血と花と」です。音楽は間宮芳生。出演は滝沢修、山本安英、北村和夫ほかの豪華な顔ぶれでした。

 その年の6月15日、安保闘争のさ中。国会議事堂近くに居合わせた一主婦の新聞への投書をもとに、現場のナマの音をそのまま劇中の素材として活用した40分のドキュメントドラマ。

 当時、放送に至るまでに予期せぬ障害が起こり、スタッフが命がけでオンエアにこぎつけたもので、その後はライブラリーで眠っていた幻の名作なのです。

 60年安保事件を遠くからながめ、70年もノンポリだった僕です。が、深夜放送に十年たずさわってきたことで、さまざまな人々と出会い、その考え、生き方に接することができ、その結果、60年安保にかかわった人が、そのころ、何をおもい、その体験をいま、どう生かしているか知りたくなったのです。そこで、“青春考古学。安保体験を掘り起こす”を企画したわけです。

 当時の文献、音の記録をさぐってみると、その作成にかかわった編集者、ディレクターの熱意が素直に伝わってきます。それは、「いま、この東京で歴史的な事件に立ち会う者として、この記録をできるだけ忠実に後世に残さなくては−−」。そんな、結集された情熱だったと思います。

 その中の記録の一つが、「雨と血と花と」でした。歴史の証(あかし)としての名作。この思いに駆られ、この作品は是が非でも伝承しなくてはと、番組の中心に据えてみました。

 国会前にFMカーを出し、児童読物作家の山中恒さん(48)、ルポライターの戸井十月さん(31)、60年生まれの田中晶子さん(20)にも行ってもらいました。深夜の国会前の芝生に座った三人が、モニターから流れる「雨と血と花と」を聞き終えた後、語り始めました。経験の有無、世代の違いを越えて語り合う三人の声音は、梅雨の夜空に突き抜けて、スタジオにいる僕の耳に浸み込んできました。声なき声、真実の声と出会うため、もっと、もっと行動しなければ……粛然という感じで、僕自身に迫るものがあったのです。

 (以上、引用終わり)

 こうして林さんが放送してくれたドラマは残念ながら、自分の手元には30分ほどしか録音が残っていない。しかし、40年前の放送人の気骨、そしてそれに再び光を当てた林さんの情熱と勇気の証として今も大切に保存している。

1988年に岩波書店から出版された木下順二集10のリーフレットには、「雨と血と花と」のディレクター、酒井誠さんの詳しい証言が掲載されている。

 それによれば、当初、30分枠の放送を考えていたが、スタッフが集めてきた素材の山、ラジオ関東・島アナウンサーの実況など、多くの素材があり、とても30分で収まりきれないと判断し、スポンサーのいない40分枠を特別にとってもらったという。スタジオで脚本の木下順二氏が録音テープを繰り返し聞き、ノートを取り、討論をし、また聞くの繰り返し。結局1本のテープに仕上げる作業は放送当日まで続いた。オンエアは8時20分。しかし、制作スタッフには知らされなかったが、すでに局には右翼が集結し、放送中止を要求していた。懐には匕首をしのばせている。
 この3カ月後に、右翼少年・山口二矢が浅沼稲次郎社会党委員長を刃物で刺殺する。ラジオ局の制作部長と副部長が命の危険にさらされていたのは誇張ではない。

 午後7時過ぎに、後半のテープが完成。しかし、視聴するには時間がない。局は放送するかどうかの判断を迫られた。酒井は「レコード番組に差し替えられる気配を感じた」という。が、番組は変更されず、番組はそのまま放送。
制作部長・山西氏の「おれらも番組を聴くのは初めてなんだ。とにかく、ここでは聴けないから、お互い家に帰って放送を聴いてまた後日話し合おう」という巧みな話術で、8時過ぎ、右翼も社外に出た。ところが、右翼が座り込んでいた部屋に、実は作品前半の完成テープが置いてあったという。たむろする右翼の中を縫って、巧みにそのテープを運び出してきたのは女性アシスタントだった。こうして、8時20分、スタジオの内側から南京錠を下ろし、番組は全国に放送された。

 酒井氏は言う。
「表現の自由とか、言論の自由とか人はよく口にするけれど、そういう自由を持ち、守るためにはほんとうに殺されるかもしれない覚悟が現実になければできないのだと思います」

 ちなみに、このとき、局に押しかけた右翼の一人は「木下順二なんてのは、おとなしく夕鶴だけ書いてりゃいいんだ」と言い放ったという。「夕鶴」は国民的作品だという証左。
 また、右翼が集結したのは、朝刊の番組欄で放送内容を知ったからだった。

 6月15日の安保反対デモには新劇人が劇団の垣根を越えて2000人近く結集、一致団結して抗議デモを行った。その隊列に右翼が襲い掛かった場面に遭遇した女優の山本安英さんは、こう述懐する。

「霞ヶ関から国会に向かう途中の坂で、装甲車みたいな大きな有蓋車が止まっていて、30人くらいの男が飛び出してきた。イタリアのファシストが着ているような上下真っ黒の詰襟の瀟洒なそろいの服。手には釘を打ち付けた長い棒を持っていて、横殴りに振り回す。手出しはしないでくださいという新劇人の伝令が来たが、みんな何が起こっているのかわからない。そのうち、黒いシャレた連中がすぐそばまで来た。そして、私の目の前にいた女優さんらしい若い人が着ている白いブラウスの背中に斜めにパッと血が走った。とっさに、木下さんが私ともう一人を両脇に抱えて国会の柵のほうへ押し出しながら自分の背中を出された。そこに仲間が一瞬早く旗棹をグイッと出したので、右翼が振り下ろした棍棒は木下さんの背中を間一髪外した」」
「赤ん坊を背負った主婦が、『赤ん坊だけは助けてください。何をしてるんですか、おまわりさん、こんな騒ぎなのに
……』と警官に懇願していたが、警官は右翼の襲撃に見てみぬふり。その主婦は警官に背中の赤ん坊を投げたという……」

 襲撃した右翼ではなく、デモ隊に向かって行われた警官隊の暴力の状況を伝えたのがラジオ関東・島アナウンサーの中継。

今、ちょうど、この目の前で、警官隊は警棒をふるっております!眼の前で警官隊が警棒をふるっております!この野郎馬鹿野郎といっております!今、殴っております!マイクロフォンを近づけてみましょう。(警官の怒号)警官隊が激しく暴力をふるっております!(「何か文句があるのか」というドスの利いた警官の声)マイクロフォンも、マイクロフォンも今、警官隊によって引きずりまわされております!警官隊によって引きずり回されております!(サイレンの音)警官隊の警棒によって(息の詰まるような声)警棒によって今、首をはさまれています!(「何?という警官の声」)今、実況放送中でありますが、警官隊が私の顔を殴りました!そして、首っ玉をひっつかまえて、お前何をしているんだというふうに言っております! これが現状であります!(「おい、検挙しろ検挙しろ」の声)向こうの方に、検挙をしろ検挙をしろといって、激しい暴力であります!私も首っ玉をひっつかまえられました!(警官にたたかれたことを訴える都民 婦人の声がきれぎれに)すごい状態です!この状態!法律も、そして秩序も何もありません!ただ憎しみのみ、怒りに燃えている警官隊と、そして学生たちの、憎しみがあるのみであります!あっ、またあそこで今、このマイクロフォンからものの10メートルと離れていないところで、(警官の叫び声、悲鳴)警官が二人、警官隊が検束!警官隊が、すごい暴力です!すごい暴力! 警官隊のすごい暴力です!(怒号しきり)これが現場の状況です! これが日本の現在の情勢です!

 島アナウンサーのこの絶叫は全国に中継され、国民を憤激させた。
しかし、1か月後に、安保は自然承認。それを境に、国民の熱狂は冷め、「雨と血と花と」が放送された7月19日には「東京の空気はあの事件に触れることは『良識』ではない、というふうに変わってきていた」(酒井氏)という。
画像

 
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最近のデモの様子を報道で見るにつけ、60年安保の盛り上がりはどんなだったのだろうと考えていました。今日この記事を拝読し、ブログで紹介させていただきました。事後承諾ですみません。トラックバックさせていただきます。
ののか
2011/11/05 23:30
60年安保のとき私は5歳。幼稚園の行き帰りにみんなで「アンポハンタイ」と安保ごっこをするのがはやっていました。60年安保で無防備だった学生・市民は右翼・警察に蹂躙され多くの血が流れました。その経験から70年安保闘争はゲバ棒、ヘルメットのスタイルになったのだと思います。実際、日大闘争では右翼の日本刀で襲われ、逃げる途中電車に接触して重傷を負った学生もいるわけで。今の原発反対デモの平和パレードも警察の挑発が続けば変化していく可能性もあると思います。それがいいか悪いかは別にして。
鮎川
2011/11/06 12:21

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